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zoom RSS 思考の引きこもり社会

<<   作成日時 : 2017/08/13 03:15   >>

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 これは全く一般的に通用するかどうかはわからない問題ですが、そう断っておかないと誤解が生まれては困ることなので最初にお伝えしておきます。特に若い人の間にしか通用しない言葉というのが今はありますが、言葉だけでなく思考についてもそういう問題が出てきてはいないでしょうか、視野狭窄という言葉がありますが、視野ではなく思考狭窄とでもいうのでしょうか、自分だけの中で考えたことがほかの人にも通用すると思い込み、そのまま発信するような状況が今生じつつあります、特に若い人たちが書き込みで多用するSNSでは多く見られるのですが、自分の怒りとか不快な感情がほかの人には共有されなくとも自分だけの世界でも構うことなく発信している、いわば言葉の社会性が崩れて、互いが勝手に共有しない言葉を言い合っている、ということが今起きているような気がします。それはある意味、既成の概念を壊して新しい意味付けの言葉として、近代詩などでは良く使われてきた手法ですが、それにはある一定の決まりのようなものが当然あって、読む人々もそれを踏まえつつその世界観を感じ取ることが出来、曖昧さ受け取る側の自由度が許される範囲が決まっていたのが、今若い人たちの使う者にはそういう決まりのようなものが全くない、難しく言えば言葉の文法を破壊したままその時々だけの一瞬のための言葉としてしかも、流れの中でその意味合いも次々に変わっていく言葉の使い方が、今行われていて、彼らの思考にも当然それは影響を及ぼしているという、昨日使われた言葉が今日はもう違う意味になってしまっている、状況が生まれつつあるのではないか、ということです。これは言葉の持つ共通性が次第に薄れ、社会性が希薄になっていく一つの顕著な表徴として、無視できない問題だと思います。確かに社会が古くなると言葉が固形化して、新たな表現をしたくてもできなくなる、特に歴史的に閉ざされてきた日本では、外からの新しい概念が流れ込まず更新されることが少ないため、若い人たちには窮屈な社会だろうと私にもある程度それは理解できます。そして言葉だけでなく制度も固化し若者たちはその中で窒息しそうな思いで毎日過ごしてきている、そういう状況が、せめて行動で縛られている分言葉だけは自分たちの縛られない表現を持ちたい、という思いが今の表現になっているのではないか、と推測されるのです。それは大人たちが求める社会性を押し付けられることへの反発がそうさせている面が否定できない、だから、大人たちには既成の言葉で反応し、自分たちは思うがまま、自由に言葉を発信しあう、という現象が生まれている。ただ彼らも何時までも若者のままではいられない、そうなったとき、彼らの住む社会がなくなってしまう、ということが起り得る、今の既成の社会にはもう入れない、しかし新しい社会も誰も作れない、そうなったとき、日本はどうなるか、思考狭窄のままの個人たちがどうやって社会性を築いていくのか、そこに今の混乱の根があるように思われるのです。

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